高さ8.0cm 口径9.5cm 高台径5.4cm
内箱蓋表に「津ゝミ柿 左(花押)」、同裏に「長二郎赤茶碗 号名津ゝミ柿ト云 此を木守ト云傅 木守ニアラス むかしなるそれハ木守 いまなるハつつなるほどにつゝミ柿にせん」と銘とそれに因んで狂歌一首をしたためているのは覚々斎原叟です。中箱と外箱は如心斎と一燈の兄弟が書付をしています。この茶碗が「木守」ではないかといってみせられた原叟が、「木守」ではなく、とすればいかなる銘をつけるかと考慮して「つつみ柿」と名付けた消息を狂歌であらわしているのがおもしろいです。伝来は覚々斎門下の後藤宗伴以前は判然とせず、のちに兵庫屋清次郎、瀬戸九郎左衛門、三井三郎助、津田休兵衛、藤田家と伝来しました。
これも土味、釉膚、高台の作振りは「一文字」「無一物」「白鷺」と共通していますが、器形は腰のくっきりと曲った半筒形で口部にかけて僅かにすぼまり、高台はやや大振りで低く、作行きは「無一物」と同じくまるみを持たせています。高台内にはくるりと巻いた渦兜巾を削り出し、目跡は五つくっきりと残っています。見込にも五つ目跡らしきものが残り茶溜りもあります。見込の目跡は作品を入子にして焼いたためではなく、おそらく高麗茶碗などの目跡を意識して置かれたものと思われます。釉がかりは薄く、聚楽土の趣がよくうかがわれ、高台から胴回りにかけての大きな破損を、漆で継ぎ合わせています。