仁清の窯跡があるとする京都清閑寺の下にあるようで、今は渋谷と書いて「しるたに」といいますが、古くは汁谷と書いたらしいです。『蔭涼軒日録』に「東山汁谷証明寺云々」とみえます。あるいは別の所かどうかわからないようです。(『茶わん』三二)