小代焼 しょうだいやき

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鶴田 純久の章 お話

肥後国玉名郡南関郷宮尾村字竜ノ原(熊本県玉名郡南関町宮尾、小代山の北麓)の産。
松風焼・五徳焼・牝小路焼・竜ノ原焼などの別名があります。
丹後国貧ノ小路の陶工源七という者が二(二一年(元和七)に豊前国(福岡県)の細川家を慕い来て、さらに1632年(寛永九)にその肥後国(熊本県)転封に従って当地に移り、牝小路と称して焼物師を命じられた。
ほかに豊前国出生の葛城安左衛門もまた焼物師をしており、以来二家が並んで業統を継いです。
1736年(享保二この記録によれば、当時の牝小路家の当主は九代亦兵衛で、葛城家の当主は七代安兵衛であったとあります。
その製器の質は赤土で肌が粗い高雅素朴な茶方向のものであるようで、当初は全部細川家に納められましたが、1806年(文化三)頃からしばらくの間一窯の三分の一を民間に売り出したといいます。
牝小路家は1877年(明治一〇)十二代喜一郎の頃廃窯し、葛城家もまた光次郎の代の1887年(明治二〇)頃廃しました。
「葛城」「牝小路」「小代」「松風」「五徳」などの刻名謡があるoただし古いものは箆書きまたは無銘であります。
なおこの系統を受けて同年頃から野田又七が南関町堀池園で甕・植木鉢などを製出しました。
(『本朝陶器放証』『府県陶器沿革陶工伝統誌』『日本陶甕史』『茶わん』四五)※ごとくやき

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