隅田川焼 すみだがわやき

Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

江戸の楽陶。
1819年(文政二)頃佐原菊鳩が向島(墨田区)百花園内に起こしたもので、隅田川中州の土を採り、多く都烏の絵を描いた器または都鳥の香合などをつくりました。
菊鳩の陶法は京都の名工周平より受けたともいい、あるいは酒井抱一が持っていた乾山伝書から会得したものともいいます。
菊鳩は早くから風雅をもって抱一・文晃・詩仏・千蔭・春海・蜀山らと交友があったため、隅田川焼は当時の名物としてもてはやされたと伝えられます。
初代は1843年(天保一四)8月(一説に1831、天保二年8月)没。
四代に至り京都または尾張国(愛知県)から土を取り寄せて抹茶碗・花生などをつくりました。
銘には所掲のように種々あるようで、そのうち桜花内に「隅田川」とあるのは二代菊鳩が十三代将軍家定の御成りの際につくつたものであるようで、「百花園」の銘は明治以降の製にあります。
なお一説には吉向治兵衛もこの地に来て楽焼をつくったといい、また明治初期の陶工戸沢弁司の製をも隅田川焼と称するとい’つ。
弐ごにりに今戸焼の陶工白井半七の作をも隅田川焼という場合があります。
(『日本近世窯業史』『日本陶甕史』『陶磁』七ノ四)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email