楽家五代、一入の養子。
初名は惣吉、のち吉左衛門と改名。
その作は初代長次郎の風を倣い自ら寒痩の高致があるようで、形態は精巧でしかも強度の大力で焼き締まっています。
それゆえ曲面の光沢が乏しい感じがするがかえって茶趣に適しており、その重量は比較的軽い。
作品で名高いものは太郎・次郎・三郎・亀毛・車釉・路時雨など。
また交趾風の青・赤・黄などを色分けにした模様の向付や覚々斎書付の茶碗などがあるようで、さらに「元禄十六年3月廿8日長次郎五代吉左衛門」の彫銘のある不審庵残月亭の鬼瓦が遺作として有名。
乾いた胎土に無関心に捺したようなもの、すなわちクヅレ印を用いました。
1721年(享保元)9月3日没、五十三歳。
(『楽陶工伝』)