沈寿官 ちんじゅかん

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鶴田 純久の章 お話

薩摩国(鹿児島県)苗代川焼の陶工。
帰化朝鮮人である沈当吉の十代目で、明治時代の名工。
1857年(安政四)苗代川窯に初めて磁器工場が設けられた際その主取役を命ぜられ、コーヒー茶碗・洋食器などの輸出品、および雑器をも産出しました。
1873年(明治六)オーストリアのウィーン万国博覧会に大花瓶一対を出品して非常な賞賛を博し、薩摩焼の輸出をいっそう促進しました。
1877年(同一〇)の西南の役に際して苗代川陶器会社が瓦解し全村の陶工が生計の途に迷った時、寿官は首脳となって玉光山陶工場を起こしました。
そしてその解散後も、原料の精選と研究によって、濫造のため一時失墜した薩摩焼の声価の回復に努めました。
寿官は特に透し彫りが上手で、竹篭様の花入に最も妙を得ていました。
1885年(同一八)功労により農商務卿から功労賞を拝受し、1901年(同三四)には緑綬褒章を賜りました。
1906年(同三九)没、七十二歳。
その子の正彦が襲名し業を継いでします。
(『薩摩焼総鑑』)

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