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長次郎七種 ちょうじろうしちしゅ

楽家初代長次郎がつくった七個の茶碗で、千利休の撰により利休七種ともいいます。『本朝陶器孜証』に「長次郎七種の義は利休居士御取持にて御在世の頃より利休取持之七種と削へ候て焼候よし」とあるようで、また「其後所により望にて写し始め宗旦居士のんこへ...
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茶臼屋 ちゃうすや

後窯茶入作者の一人、茶臼屋小兵衛。茶磨屋ともあります。利休時代の人。京都寺町通本能寺前に住み、大瓶手を多く焼いたといいます。(『別所吉兵衛一子相伝書』『茶器弁玉集』『本朝陶器孜証』『観古図説』)
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茶経 ちゃきょう

中国の茶の古典。茶祖とされる陸羽の著。陸羽は唐代玄宗(721-55在位)頃の人。三巻。巻上は茶之源・茶之具・茶之道。巻中は茶之器。巻下は茶之煮・茶之飲・茶之事・茶之出・茶之略・茶之図の十篇に分かれています。唐代に盛行した茶は団茶であるようで...
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茶碗屋久兵衛 ちゃわんやきゅうべえ

京都三条河原町の陶器商壺屋久兵衛(九兵衛または九郎兵衛ともいわれる)。明暦年間(1655-8)肥前有田の陶商青山幸右衛門との取引の縁故によって肥前の秘法である金欄手焼付の法を伝聞し、内々にこれを仁清に伝えました。仁清は日夜工夫してついに金欄...
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田原友助 たわらともすけ

薩摩国(鹿児島県)竪野焼の陶工。もと朝鮮田原の人で、初名は申主碩。島津義弘に従って入国し鹿児島にいましたが、星山仲次の推挙で共に竪野窯創業のことに従事しました。のち田原友助の名を与えられました。なおその弟の申武信も同時に田原万助の名を賜りま...
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丹山青海 たんざんせいかい

京都の陶家。1851年(嘉永四)5月粟田中ノ町(東山区)で製磁業を開いました。1853年(同六)青蓮院宮が陶器物産会所を設けると特に粟田蜃器の専業を命じられ、陶磁を兼製しました。1865年(元治二)長子芳太郎が業を継ぎ、1866年(慶応二)...
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団琢磨 だんたくま

大正・昭和の実業家。1858年(安政五)福岡藩士二百石の神屋宅之丞の四男に生まれ、1870年(明治三)名門の福岡県権大参事団尚静の養嗣子となりました。翌年9月には黒田家より海外留学生に選抜されて黒田長知に従ってアメリカに留学しました。時に十...
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旦入 たんにゅう

楽家十代。九代了入の次男。初め市三郎、通称惣治郎・左兵衛、のち吉左衛門、譚は喜懐。旦入の名は吸江斎から宗旦の一字を与えられたものといいます。1811年(文化八)十七歳で家を継いでします。作行は父了入に似て素直でありますが、釉掛けは淡いきらい...
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民吉 たみきち

加藤 民吉尾張瀬戸の磁祖加藤民吉。名は保堅、一に保賢ともいいます。初名は松太郎(あるいは松次郎)で、吉左衛門景遠の二男。瀬戸の陶業は江戸時代中期より著しく衰退し、1773年(安永二)当時は窯家百四十二戸、1804年(享和四)当時には百戸に満...
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田村権左右衛門 たむらごんざえもん

一説に古九谷の創始者に擬されています。『荒憩紀聞』に「九谷焼は後藤が焼きたるにあらず、田村権左右衛門と云ふじの焼たりと云ふ、九谷の宮に花瓶一対あり田村権左右衛門明暦元年6月廿6日と藍にてあるようで、是は焼物手初に此の花瓶を焼き奉納したると云...