お話 加藤春光 かとうしゅんこう 1881年(明治一四)12月今の愛知県瀬戸市南本町の窯家に生まれた。高等小学校卒業後東京芝区(港区)の白金中学に一年間在学。十八歳の時家を無断で出て、横浜商業学校教師のオ一ストリア人パクストン家のボ一イとなり英語を学ぼうとしましたが、半年後... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 門田金治 かどたきんじ 伊予国麻生(愛媛県伊予郡砥部町)の豪農で、安永(1772-81)頃の大洲藩の御用油師(燈用)。当時藩主加藤泰侯が殖産上の見地から砥部産の砥石屑を使って磁器の製造を始めますと、資本主に指定されました。製造家ではないようです。のち藩では磁器製造... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 加藤春二 かとうしゅんじ 尾張瀬戸の陶工。竹里庵と号しました。十一世加藤元十の次男で、1890年(明治二三)分家して陶業に従いました。父元十に至るまで代々水鉢・飯胴甕類の製造を主とした、春二は風流に篤くもっぱ・ら古法を慕い、茶器・装飾器などの雅品を製造しました。その... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 加登屋長寿 かどやちょうじゅ 加賀国(石川県)大樋焼の陶工。大樋焼五代勘兵衛の門人加登屋吉右衛門(同門加登屋政吉の分家)の子で、1856年(安政三)金沢山の上町に窯を構え、主として飴釉の茶器をつくり「長寿」の円印を捺し、世に大樋の長寿作として賞賛されました。1886年(... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 加藤助三郎 かとうすけさぶろう 美濃国土岐郡多治見(岐阜県多治見市)の人。父助四郎は早くから美濃産陶磁器が名古屋の域を出ないのを嘆き、東奔西走の結果村雲御所の御用、次いで幕府本丸御用と称することを得、また特に満留寿の商号の熔印を許されました。これは安政年中(1854-60... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 加登屋政吉 かどやまさきち 加賀国(石川県)の陶工。大樋焼五代勘兵衛の門下中で安江屋五十八と並び称された良手。天保(1830-44)末年独立して窯を構え、大樋焼とは異なる「大樋」の二字印を用いたところ藩庁の叱責を受けました。そこで俳号「五柳軒」を陶号としてその楕円印を... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 葛城安左衛門 かつらぎやすざえもん 一書に八左衛門とあります。牝小路叉左衛門(一に源七)と共に肥後国(熊本県)小代焼の創始者と伝えられます。もと豊前(福岡・大分県)の士で細川侯の移封に随って肥後に移り、三斎から小代山の麓に土地一町五反(一・五ヘクタ一ル)を賜って窯を開いました... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 加藤清三郎 かとうせいざぷろう 尾張瀬戸北島の陶工。幕末の人で大器を勺くることにすぐれていました。また加藤岸太郎を助けて1865年(慶応元)陶祖の碑をつくりました。その作に「御焼物師加藤清三郎作之」「宗晴」などの銘があります。 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典
お話 金重宗四郎 かなしげそうしろう 寛永(1624-44)頃の備前国(岡山県)伊部の陶工。窯印は所掲の通り。金重はいわゆる窯元本家六姓の一つであり、『古備前神伝録』には金重利吉・金重恂太郎・金重彦右衛門の窯印がみえています。いずれも嘉永期(1848-54)の窯家。また一本に載... 2011.05.21 お話人物原色陶器大辞典