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人物

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田代半次郎 たしろはんじろう

肥前有田大樽の窯家。嘉永・安政(1848~160)頃の人で青花の妙手。製品はおおむね無銘。(『茶わん』一二)
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田代呈一 たしろていいち

肥前有田の人。1888年(明治二一)徳見知敬と共に有田稗古場に起産会社を起こし、蒸気機関を据え付け磁器原土の製造を始めたが、1895年(同二八)の不況に遇いこれを町村組合経営に譲渡した。1899年(同三二)西松浦郡陶磁器同業組合が組織された...
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竹原五郎七 たけはらごろしち

また高原五郎七とも書く。肥前(佐賀・長崎県)磁器創業期の重要人物である。三川内(長崎県佐世保市三川内町)方面の文書には竹原とあり、聞くところによれば同地方では竹をタカというそうである。それならば五郎七の本姓は高原であろう。詳細は「五郎七」の...
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竹内吟秋 たけうちぎんしゅう

加賀国大聖寺(石川県加賀市大聖寺町)の人。藩浅井長右衛門の長男として1831年(天保二)に生まれ、1850年(嘉永三)竹内家を嗣いだ。初名源三郎、鎧斎・有節斎などと号した。1878年(明治一一)山代(加賀市山代温泉)の塚谷浅について陶法を修...
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滝藤万次郎 たきとうまんじろう

明治初期の製陶家で、また輸出の功労者でもあった。名古屋茶屋町(中区)の人。1872年(明治五)フランス人某から瀬戸磁器数点の購入を託された時、輸出が有利であることに着目し、村松彦七江副廉造らと海外に赴き販路の拡張を図った。そしてすでに前年に...
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高原平兵衛 たかはらへいべえ

江戸の陶工。肥前国三川内(長崎県佐世保市三川内町)の『今村文書』によれば、高原五郎七の弟子平兵衛という者がおり、大阪天満で五郎七が没すると自ら竹原(高原)を名乗り、その子孫が江戸に残っていたという。また1804年(文化元)の『武鑑』には「御...
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高原藤兵衛 たかはらとうべえ

高原焼の創始者。もと肥後国山本郡(熊本県鹿本郡)高原郷の人。慶長(1596~1615)の末摂津国(大阪府)に来て能勢郡(豊能郡)の山間に窯を築きもっぱら茶器をつくった。大和国小泉(奈良県大和郡山市)の領主片桐石州はその製作の雅あるを愛し、将...
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宗玄 そうげん

尾張藩の老職渡辺兵庫頭規綱。1835年(天保六)入道して道翁と号し名古屋大曾根(東区)の芝山荘に住み、のち尾頭の里に一庵を設けて又日庵と称し、もっぱら茶事をもって老後の楽しみとした。宗一・宗玄・竜艸・玄斎・一楽園などの別号がありました。また...
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宗歓 そうかん

朝鮮人。姓は達、名は越。朝鮮咸鏡北道吉州の刺史達賢の子。1587年(天正一五)海難に遭って筑前国黒崎(福岡県粕屋郡志賀町勝馬)に漂着した。1591年(天正一九)肥前鍋島家に引き取られ、文禄の役の際にはその地理案内および通訳の任に当てられた。...
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宗四郎 そうしろう

三代西村善五郎宗全の弟。土風呂の製作は兄に劣らず秀吉から天下一の号を賜わり、器に「天下一宗四郎」の印を捺した。その後徳川秀忠から扶持を受けついに江天下一戸に赴いたと伝えられます。(『観古図説』『工芸鏡』『彩壺会講演録』『日本陶瓷史』)