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伊兵衛 いへえ

もと近江国(滋賀県)の人で京都三条の錦光山の工人でありましたが、のちに尾張国品野(愛知県瀬戸市品野町)に来て同村の基窯八世丹右衛門重徳(1753、宝暦三年4月没)の一女しげを妻とし、この地に初めて京焼を伝えました。(『新編瀬戸窯系統譜考』)
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伊万里屋五郎兵衛 いまりやごろべえ

江戸の陶商。寛文年間(1661-73)仙台藩主伊達侯の依頼で有田に二年間留まり辻喜右衛門に磁器をつくらせ、伊達家からこれを内裏と仙洞御所に献納しました。辻家はこの時から宮中供御の磁器を調達することとなり、以後鍋島家を経て進献しました。(『有...
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井上清二 いのうえせいじ

京都の陶工。名を庄介といい尾張国(愛知県)の人。初め丸窯師・彫り物師として彦根藩窯湖東焼にいましたが、そこの廃止後京都の幹山伝七の工場に入りました。また清水の井上清二の養子となりその死後名を継いで清二と改めました。挽きものが巧みでまた捻りも...
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今井儀右衛門 いまいぎえもん

薩摩国(鹿児島県)平佐焼の創始者。薩摩郡平佐郷白和(薩摩川内市白和町)の人。初め出水郡下出水脇元(阿久根市脇本)に磁器製造所を設立したが失敗。1776年(安永五)平佐郷の領主北郷久陣の後援を得て有田から陶工を招き製作。薩摩で純粋の肥前系統の...
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芋頭・魁芋 いもがしら

瀬戸茶入の一手。土・釉・作者が芋子と同じとされています。(『茶器弁玉集』)※いものこ
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井上世外 いのうえせがい

本名馨。明治の財政政治家・外交家。世外はその号。1835年(天保六)長門国(山口県)に生まれ、近代日本資本主義の育成に貢献し、また文化財の保全に努めました。世外はまた1895年(明70治二八)の還暦の頃から東京でしばしば茶会を催し、晩年の1...
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今泉今右衛門 いまいずみいまえもん

肥前有田の窯家。寛文年間(1661-73)に始まった赤絵屋十六軒のうちの一つで、代々赤絵付を専業とし現在は十二代目。五代今右衛門(覚左衛門)の時初めて鍋島侯から錦付御用の命を受けました。十代今右衛門(藤太)の時御用窯が廃止になり磁器窯を築い...
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妹背山 いもせやま

名物。金華山茶入。生海鼠手。銘は『新勅選集』雑歌権中納言国信の「浅みどり霞わたれる絶間よりみれどもあかぬ妹背山かな」に因むもので、見所が多い点を賞美しています。享保(1716-36)の頃島原藩主松平主殿頭が所持、その後松平周防守康福、田沼大...
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一斎 いっさい

尾張常滑の陶工浦川竹二郎、一斎と号しました。松下三光の門人でまた寺内半月にも学んです。彫塑か巧みで1887年(明治二〇)県下に天皇の行幸があった際、御野立所鳳翔閣の手水鉢に竜の彫刻を施す光栄に浴しました。轆轤細工は鉄焼の急須などがすぐれてい...
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糸切 いときり

水挽きの時轆轤から製品を離すのに撚糸で切った痕が、渦状の細い線で残ったものをいいます。藁みごを用いるのを古風とし、水指・花器などの大器には馬尾を用いることもあります。糸切は茶入の場合には特に一種の注目点となり、琥輔の種類とその運用の仕方によ...