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やきもの

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贄土師部 にえのはじべ

天皇の御膳に供する土器をつくる部民。雄略天皇の十七年土師連祖吾笥が、摂津国来狹狭村、山背国内村、俯見村、伊勢国藤形村、および丹波国・但馬国・因幡国の私民部を献じて賛土師部といったという。(『日本書紀』)
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新津焼 にいずやき

安政年間(1854~60)越後国(新潟県)新津において西潟藤市という者が日用の粗陶の摺鉢・甕・植木鉢・焜炉などの類を製した。以後工人が相次いで起こり、これを一般に新津焼と称する。近年これとは別に新津町字山先(新津市新津)に石黒英一が製した磁...
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南投焼 なんとうやき

台湾台中州南投のやきもの。この地の付近には理想的な製陶原料が採れるので古くから製陶を行なう者があったが、技術が未熟であったため、1901年(明治三四)愛知県から陶器学校卒業の亀谷を招き花瓶・茶碗・徳利・置物などをつくったところ非常に好結果を...
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南京焼 なんきんやき

単に南京ともいい磁器を意味する。昔わが国には磁器がなく中国からの舶来に頼っていたのでその国の地名を採って南京焼を磁器の名称とした。のちわが国でも磁器を製造できるようになったが、なおそれらをも明治期に至るまで南京焼と呼んでいた。
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鳴滝窯 なるたきがま

鳴滝窯 なるたきがま京都の北西鳴滝の地(右京区)において尾形乾山初めて窯を起こした。一般にその製品を鳴山と呼ぶ。またこの地が乾の方角に当たるので自乾山と名乗ったといわれる。(『日本陶瓷史』)
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能山焼 のうざんやき

石川県鹿島郡余喜村字大町小字郷(羽咋市大町)産の陶器。1910年(明治四三)に大町の旧家島田忠太郎・村田義信の両人が、九谷の陶工長田幸松小坂虎松らを招いて、隣地御祖村字高畠(鹿島郡鹿島町高畠)の原石および能美郡の九谷焼の原石・釉料をもって主...
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奈良理吉 ならりきち

石川県大樋焼の第八代。若い頃から茶事を嗜み作陶に志し、技法を七代大樋道忠より受けた。大樋宗家の不振を残念に思い、1897年(明治三〇)道忠より業統を受け八代大樋長左衛門を名乗った。現九代は1927年(昭和二)に襲名。別本によれば理吉は七代道...
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鍋屋吉兵衛 なべやきちべえ

加賀国(石川県)の陶画工で松下堂文篁と号した。父丈助は松下堂黄彰と号し文政年間(1818~30)若杉窯および吉田屋窯の絵付をした。吉兵衛に至って1840年(天保一一)金沢に移り民山窯の陶画を付け、のち嘉永年間(1848~54)金沢小立野の辰...
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鍋屋肩衝 なべやかたつき

鍋屋肩衝 なべやかたつき名物。唐物肩衝茶入。異名筑摩。鍋屋道加所持のち松平不昧に入った。(『茶道名物考』)
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魚子紋・斜子紋 ななこもん

魚子紋・斜子紋 ななこもん魚の鱗のようなこまかい釉泡。その多くは素地中の空気が膨張進出して釉中に小泡となったもので、極微のものはピン孔といい不良品とされる。