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陶芸

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久我肩衝 こがかたつき

大名物。漢作肩衝茶入。永平寺の開山道元禅師(久我大納言通親の子)が瀬戸の陶祖藤四郎(加藤景正)を伴って入唐し、安貞年間(1227-9)帰朝した際この茶入をもたらして久我大納言家に贈ったものです。口造りの捻り返しは浅く、総体に飴色釉の中に黄色...
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高麗の陶磁 こうらいのとうじ

朝鮮高麗朝の陶磁に関する最も重要な文書は、中国宋代の徐競が1214年(宣和六)に記した『宣和奉使高麗図経』の記文であります。その略に「青磁を高麗の人は弱色と謂ひ近年以来その製作巧みにして色沢尤も佳なり、酒尊の状は瓜の如く上に小蓋ありて蓮の花...
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高麗黒磁 こうらいこくじ

朝鮮高麗朝につくられた黒磁で二種あります。一つは素地に鉄砂を引いて上に青磁釉を掛けたいわゆる黒高麗で、肌に刻文を施したり白土で簡単な象嵌文を施したものがあります。もう一種は天目釉を掛けたものでもちろん青磁釉は施されず、やや褐色がかった釉調を...
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高麗 こうらい

古来わが国の茶人間の朝鮮茶碗の分類に高麗という目があります。高麗はある意味で朝鮮茶碗の総称ともいえ、昔から茶人は分類不明の朝鮮茶碗を単に高麗焼と称して後世の批判を避けるのを常とし、遠州時代においてすら朝鮮茶碗の箱書に漠然と高麗と書いて茶を濁...
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洪武窯 こうぶよう

中国明代洪武年間(1368-98)に焼造した官窯。洪武末年(一説に二年)廠を景徳鎮の珠山の麓に設けて窯器を焼造し、上方に供してこれを官磁と称し民窯と区別しました。大竜紅窯のほか青窯・色窯・風火窯・匝窯・艦燐窯などがあり計二十座。その製器は土...
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弘入 こうにゅう

楽家十二代。十一代慶入の実子で1882年(明治一五)家督を相一続した1932年(昭和七)秋図に没、七十六歳。所掲の印を用いました。(『楽陶工伝』)
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紅陶 こうとう

土器の製作において、通風をよくし火度を高めると酸化して器申の鉄分は酸火第二鉄となり、赤焼土器となります。中国ではこれを紅陶といいます。紅陶は仰韻文化に現われ、彩陶もこの紅陶の上に彩文を施したものにほかならないようです。仰韻文化ではこの彩陶を...
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郊壇窯 こうだんよう

中国南宋後期の官窯で、杭州の嘉会門外16キロの地にある南宋時代の郊壇の下にあります。それでまた郊壇下新官窯ともいいます。この窯跡を指摘したのはおそらくペリオが最初で、1923年の『通報』紙上の「咸淳臨安志」の記事中に「青器窯は雄武営山上の円...
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高田焼 こうだやき

肥後国(熊本県)の陶窯。別名八代焼。1632年(寛永九)細川忠利か豊前国(福岡県)から肥後国に転封されると、かねて先代忠興に召されて豊前国上野焼に従事していた上野喜蔵(尊楷)は、長男忠兵衛・次男藤四郎を伴って肥後国に移り、八代城に近い八代郡...
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弘治窯 こうじよう

中国明代弘治年間(1488-1505)の景徳鎮の官窯をいいます。この窯の特色は優秀な黄色釉にあるようで、その色調は、最良のものにあっては水仙の黄色のようであるようで、また黄色の葵の花弁のよ夕であるともいわれます。ブブソエルに従えばこの黄釉は...