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鶴田 純久の章 お話

彦根藩窯湖東焼の陶工で、また藩窯を継いで山口窯を起こしました。
彦根外船町の人、父と共に絹屋窯にいましたが、藩窯となっても引き続き御抱えとなり。
1858年(安政五)9月一人扶持、同10月にはさらに一人扶持を与えられ廃窯まで従業しました。
喜平は袋物専業で急須を最も得意とし、急須づくりの喜平と喧伝されましました。
藩窯の廃止後山口窯を始めましたが、1895年(明治二八)六十八歳で没。
(『湖東焼之研究』)※やまぐちがま

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