大名物。漢作、茄子茶入。一名織田茄子。もと京極家の所持であったことからの名であるでしょうか。その一名織田茄子は織田三五郎(有楽斎の孫、号可休)が所持していたことによります。上品かつ精作で景色に富む茶入であります。
もと室町幕府の茶匠半田紹和の所有で、石橋道叱(また良叱、天王寺屋と号する)に伝わり、播磨の人善海を経て秀吉の蔵となり、織田有楽斎、その孫三五郎可休を経て家康の手に入り、後年徳川幕府より甲府の徳川綱重に下賜され、綱重の死後子の綱豊より襲封御礼として幕府に献上され再び幕府のものとなりましたが、のち紀州侯がこれを拝領しました。
(『津田宗及茶湯日記』『大正名器鑑』)
きょうごくなす 京極茄子
漢作唐物茄子茶入。
大名物。
「京極」の名は所持者名と思われるが明らかではなく、すでに『津田宗及茶湯日記』 元亀二年(1571~の道茶会にその名がみえています。
別名「織田茄子」というのはその後織田三五郎可休(有楽の孫)が所持したからです。
口造りの締まりよく、捻り返しは強いです。
甑際に青白い蛇蝎釉が筋のごとくまわり、総体に飴色に梨皮色を含んだ釉の中に、青白い釉が雲のごとく胴の中ほどを横切っていて、「残月肩衝」か「国司茄子」の釉質に似ています。
置形は沈筋にかかり、土際まで釉抜けして、細長い輪状となっています。
以下は朱泥土で、糸切も鮮明であ腰に青白い釉の一点がありますが、『喫茶話法奥義集』に「茄子の茶入に白き星のあるあり其星を露と申すなり京極茄子に露あり」というのは、これでしょう。
形も円満で、上品な中に凛々しさのみられる茄子形茶入です。
『茶道正伝集』『古今名物類聚』などに記載。
【付属物】蓋―二、うち一枚は古織好 蓋袋内箱 桐白木書付 蓋袋外箱 黒塗金粉文字 仕覆ー四、鉄色地雲鶴卍字紋緞子・定家緞子・紺地人形手緞子・花色地梅鉢紋緞子(図版右より) 仕覆箱 桐白木書付 家 鉄刀木、金粉文字 家仕覆段替唐織内箱 桐白木書付 外箱 黒塗金粉文字
【伝来】京極家半田紹和―石橋道叱 豊臣秀吉 織田三五郎可休(有楽の孫)―徳川家康-徳川綱重徳川綱豊―柳営御物―紀州家
【寸法】 高さ:6.4 口径:3.0 胴径:7.0 底径:3.0 重さ:76