邪州窯 けいしゅうよう

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鶴田 純久の章 お話

邪州窯 けいしゅうよう

または那窯。
中国邪州窯の窯跡は未だに発見されていないので断定するわけにはいかないが、おそらく河北省邪州内邱県(邪台県内丘)近傍にあるようで、唐代に越州青磁と並び称される白磁を多数産したと考えられます。
唐の白磁とされているもののうち、その大部分を占める堅緻な妬器質の灰色胎に黄ばんだ白釉の掛かったものを、今日一般に邪州の白磁と称しています。
南方の吉州系の白磁がやや青白いのに対してそれらが黄味を帯びるのは、北方窯の特性として燃料に石炭を用いたため焼成が酸化焔となったからであります。
邪州の白磁にはさまざまな器形がありますが、万年壺・四耳壺・竜耳瓶・鳳首瓶など唐三彩とまったく同じ形が多いことは、その製作が唐代も早い時期からであることを裏書きしています。

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