偃溪広聞 偈頌二首 えんけいこうもん げじゅにしゅ

偃溪広聞 偈頌二首
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鶴田 純久の章 お話

南宋禅界の一方の雄であった偃溪広聞が、自作の偈頌二首を揮毫したものたくあんそうほうである。
署名も印もないが、その書風を他の確証あるものと比較してみると、偃溪の真蹟たることは疑いない。
なお本墨蹟には、沢庵宗彭が継ぎ紙して加えた鑑定の語も一緒に表具されている。
第一首は送別の詩で、格別の禅旨を含んだものではない。
第二首は偃溪が天下の奇観として知られる「浙江の潮」を見物したときの作で、「この浙江の潮を宇宙の大生命・如是法の顕現とみ、その真趣を理解する者が果たしているだろうか」と結んでいる。
「巴峡」は揚子江が湖北省に入る手前にできた大峡谷で、詩文で名高い巫山や白帝城などの名所があり、両岸には猿が多く棲息し古来「巴峡の猿鳴」として有名。
「挙す」とは挙似するの略で、他人に話し示すこと。
「看潮」は、仲秋の名月から十八日までを潮生日といい、この頃、浙江すなわち銭塘江から海に注ぐ水と、折からの満潮で盛り上がる海潮とが衝突して豪壮な海嘯現象が起こり、風雅の客が争って見物に出かけた。
偃溪かいしよう広聞は福州の儒家の子として生まれたが18歳で出家得度し、鉄牛心印・少室光睦・無際了派らに参じたのち、大慧派の浙翁如珠に参じてその法を嗣ぎ、小浄慈に出世、香山・万寿・雪竇・育王・浄慈・霊隠・径山の諸大寺に住し、景定四年(1263)75歳で示寂。
禅僧として卓越していただけでなく、詩文にも長じ、『江湖風月集』にもその偈頌が三首とられている。
【寸法】本紙縦28.8 横57.7
【所蔵】五島美術館

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