国宝。
圜悟克勤が、北宋末の宣和六年(1124)に法嗣の虎丘 紹隆に与えた法語の前半。
圜悟の禅宗史上における地位の重要さと、これが現存の禅林墨蹟中で最古のものであるところから、古来、墨蹟の第一とされてきた。
もと薩摩の坊の津に流れ着いたという伝承から「流れ圜悟」と呼ばれる。
『圜悟仏果禅師語録』『圜悟必要』に、これと同文の法語が採録されているが、それによると、このあとにさらに約三百五十字からなる後半があり、これが印可状であることがわかる。
禅宗の歴史を要約し、達磨禅の真風の何たるかを説き、大法護持の責任と伝法の重大さについて法嗣虎丘にねんごろに訓戒したもの。
圜悟克勤は正しくは無著克勤をいい、彭州の人で、五祖法演に参じてその法を嗣ぎ、看話禅の頭目として活躍、雪竇重の『頌古百則』を土台に『碧巌録』を大成した巨匠。
諸大寺に住し、北宋の徽宗皇帝から仏果禅師、南宋の高宗皇帝から圜悟禅師の号を受け、紹興五年(1135)73歳で示寂。
虎丘紹隆は和州含山の人で、大慧宗呆とともに圜悟下の二大甘露門と称され、十刹第九の虎丘山雲巌禅寺に住紹興六年、60歳で示寂。
【付属物】墨蹟―二、東巌浄日筆、師・行珍両筆 点字―二、古岳宗亘・雲英宗偉筆書状―二、春屋宗園から古田織部・伊達政宗から谷宗卓あて
【伝来】堯甫蔵主―大徳寺大仙院
【伝来】堯甫蔵主谷宗卓 祥雲寺 松平不昧
【寸法】全体―縦129.0 横64.0 本紙―縦44.0 横52.0
【所蔵】東京国立博物館