無準師範の法嗣の希叟紹曇が、日本僧瑛典座の求めに応じて書き与えた達磨大師の賛語であり、希叟の墨蹟としては唯一のものである。
これは『景徳伝燈録』『伝法正宗記』などにみえる菩提達磨の伝記の肝要を圧縮して表現したものである。
「幾ぞ曽て教外別伝に当らん、分髄・分皮、正に好し、手中の痛棒を喫せんに」以下の部分は、禅のいわゆる拈弄の体裁をとっている。
拈弄とは、ここでいえば希叟が達磨より一段上に立って、達磨くさしたり、痛いところをついてやじったりしながら、ことばとは反対に実は大いに讃歎している、というような体裁の表現のことである。
ここでは、荒っぽいことばとは反対に、達磨大師があったればこそ今日の禅があるのだ、ありがたいことだと、感謝報恩の思いを述べている。
希叟紹曇は十二年間の久しい間、仏隴寺に住し、のちに北山景徳霊隠禅寺において『五家正宗賛』を著わし、次いで十刹の第五雪 竇山資聖禅寺と、第四蔣山太平興国禅寺とに歴住した。
この賛語を求めた「日本の瑛典座」が何人であるかははっきりしない。
弘安元年(1278)、執権北条時宗の命を受けて、卓越した禅僧を招請するため入宋した「詮・英」二僧のうちの「英」がその人でないかとの説がある。
時代的にみて考えられるが、断定はできない。
【付属物】消息―玉室宗珀より山中道休あて
【伝来】鴻池家
【寸法】全体 縦114.5 横87.7 本紙縦30.4 横86.0
【所蔵】五島美術館