重文。
建武新政前後の日本の禅界に大きな足跡を残した帰化僧明極楚俊が、振首座という僧に書き与えたである。
海翁という号と妙振という諱に因んで、大海に一人釣竿を振う老翁に託してその禅的境涯をうたったもの。
「広々とした大海に向かって、ただ一人黙然と釣糸を垂れている人物がいる。
釣糸が風に吹かれて光り、彼の鬢髪も白く垂れて風に揺れている。
一体何を釣ろうとしているのだろう。
この老翁は表面の泡をたくましく底知れぬ大海の働きと錯り認めるようなことはすまい。
彼の識見は高道眼は明白で、部分を認めて全体としたり、表面些末の現象に幻惑され根本の妙用を忘れるようなことはまったくない」というのが大意。
明極楚俊は明州慶元府の人で、幼少で出家し横川如琪に参じ、さらに虎巌浄伏参じてその法を嗣ぎ、雙林山宝林寺などに住し、次いで径山霊隠・天童・浄慈に遍遊、首座として遇された。
わが国からの招請に応じて元徳二年(1330)に来朝し、翌年、後醍醐天皇の勅問に答え、北条高時の招きで鎌倉に下り建長寺に再度わたって住し、次いで後醍醐天皇の勅旨を受けて上洛、南禅寺と建仁寺に住し、また摂津に広厳寺を創建して開山となるなど活躍したが、延元元年(1336) 75歳で示寂した。
振首座というのは、偈の内容の滄海や白髪翁という点からみて、高峰顕日の法嗣の海こうぼうけんにち妙振であろうと推定されている。
【寸法】全体一縦124.7 横82.8 本紙縦33.9 横71.2
【所蔵】根津美術館