高さ:9.6cm
口径:15.4cm
高台外径:4.5cm
同高さ:0.8cm
伝世の青磁茶碗中、最も声価の高い名碗であり、その伝来も、まことに古いです。茶碗に添っている、伊藤東涯の筆になる『馬蝗絆茶甑記』によれば、かつて平重盛が、宋の育王山に黄金を寄付したとき、その返礼として、時の住持仏照禅師から贈られたものと伝えられ、足利義政の蔵となって愛蔵されていましたが、底にひび割れがあるため、明国に送って、同じような茶碗を求めたところ、中国では、このような名器は、得られないといって、割れ目に鎹を打って返送してきましたが、鎹のことを、中国で馬蝗絆どいうことから、「馬蝗絆」と銘するようになったといいます。東涯は「以鉄釘六鈴束之絆如馬蝗還覚有趣、乃号馬蝗絆茶甑」と、その銘の由来を述べています。
数多い名物茶碗のなかでも、平重盛時代からの伝来が伝えられるものは、ただ一碗であり、いささか伝説的ではありますが、この伝来を、単なる伝説として、否定することはできません。
茶碗の焼造年代は、十二世紀、すなわち、重盛のころであり、また当時、日宋の貿易が盛大であったことからしても、重盛所持を否定することはできません。ただ重盛から義政までの、約三百年の消息が不明であるのは、伝来として、いささか弱いです。
義政以後は、伝来どおりのものであったことは、疑いの余地がありません。
口縁を六弁に切り込んだ、青磁の茶碗で、おそらく竜泉窯の作でしょう。青磁の釉膚は、さすがに長年の伝世であるだけに、まことに美しく、内面はやや青みが濃く、外側には、白みを帯びた部分も見受けられます。高台ぎわから高台にかけて、一部に釉が厚く溜まったためか、青みの濃い部分もあります。
素地は白く、口縁にも、釉の下に白い素地が見えます。
高台まわりに、ひび割れがめぐり、そこから口縁まで、ひび割れが一本、延びています。おそらく熱湯を注いだために、生じた割れでしょう。口縁に、小さい紺繕いがあります。
ところで、この馬蝗絆と、全く同様の作ぶりのものが、他に一碗伝来していますが、それは『茶道正伝集』に、
鎹茶碗と云て名物茶笙置有、但青磁の茶碗なり、大きなるひゞき一つ有、其所に外より鎹を二所かけたる茶碗也難皿心其鎹中へは不見也、元は医師道三所持、後織田三五郎所有に有之、今何れに有とも不知也。
とあります。曲直瀬道三から織田有楽に、伝来したものではないかと推測されます。
内箱は挽き家で、黒無地の曲げ物、袋は黄地錦、外箱は木地溜め塗りで、「馬蝗絆」の文字が貼り紙されています。
義政から侍臣の吉田宗臨(天文十二年十一月七日没、七十六歳)に与えられたことが、『寛政重修諸家譜』にあり、この吉田家は、後の角倉家となり、了以、素庵以下、代々伝来しましたが、伊藤東涯の記文は、享保十二年、宗臨九世の孫、玄懐の代にしるされたものです。
その後、おそらく幕末から明治のころでしょうが、京都室町の三井家に伝わり、今日におよんでいます。
(林屋晴三)
馬蝗絆 ばこうはん
青磁茶碗。
重文、大名物。伊藤東涯の証文によると、平重盛が宋の育王山に黄金を喜捨した返礼として贈られたと伝えています。
のちに足利義政に伝わり疵ができてしまい、これをとり替えに中国へ送ったところ、二度とこんな美しい青磁はできませんと、鎹で疵を止めて送り返してきたと伝えられています。
馬蝗絆とは鎹のことで、以上のような伝説から古来高名な一碗です。
青磁の発色もいい伝えのように美しさ無類のものがあり、日本の茶道工芸を代表する名碗の一つ。
《付属物》添状-伊藤東涯筆
《伝来》平重盛-足利義政-吉田宗臨-室町三井家
《寸法》高さ6.5 口径15.0~15.4 高台径4.5 同高さ0.6 重さ289 重要文化財登録:1970/05/25
馬蝗絆 ばこうはん
名物。中国産青磁茶碗。伊藤東涯の『馬蝗絆茶甌つかつな記』に「鉄釘六鈴を以てこれを束ね、絆ぐこと蝗の如し。還って趣あるを覚え、仍って馬蝗絆茶かすがいと号す」とある。馬蝗絆は鉄のこと。東涯の記文によると、この茶碗は平重盛が宋の育王山に黄金を喜捨した返報として時の住持仏照禅師より贈られたもので、有名な金渡しの墨跡と共にわが国に渡来した。その後足利義政はこれを珍重し、その底に割れた所があるので中国明に送り同種の他のと取り代えようとしたが、当時明においてもこのような名器は再び得難いというのでその割れ目に鎹を打ったのが、かえって一段と趣を添えた。のち義政はこれを侍臣吉田宗臨に与えた。宗臨の子孫は土木工事で有名な角倉家であるが、臨九世の孫玄懐の時の1727年(享保一二)、東涯はその家でこれを拝見して感銘記文をつくった。後年室町三井家に入った。(『大正名器鑑』)