尾張藩士。御庭焼の廃絶を惜しみ嘉永年間(1848-54)請願して同国愛知郡御器所村七本松(名古屋市中区七本松町)に移り萩山焼を焼いました。作品は一種楽焼に似て土は滑らかで赤く、上釉も赤く、これに白または青釉や呉須で絵付しました。器底に萩山焼の款があります。(『日本陶工伝』)※はぎやまやき