千道安 せんどうあん

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鶴田 純久の章 お話

茶人。千利休の長子。
1546年(天文一五)の生まれ。
初名紹安。
推枕軒・不斎・不休斎とも号しました。
晩年春屋宗園禅師から眠翁の道号を与えられました。
茶を父に学び、秀吉に仕えてその茶頭の一人となりました。
1591年(天正一九)の父の死後一時飛騨国(岐阜県)の金森長近に身を寄せましたが、のち許され、関が原の合戦のあとは細川三斎に迎えられ禄三百石をもってその茶頭となりました。
茶においては父の鍛錬により諸種の創意を出し、後世道安流といわれ、その弟子に多賀左近・桑山宗仙・金森可重らがいました。
茶席では道安囲い、道具では擾・香合・釜・蓋置その他に道安好みがあるようで、またかつて利休から秘蔵の鶴の一声花入や大黒楽茶碗を譲られました。
1607年(慶長一二)2月17日没、六十二歳。
太宰府(福岡県)の崇福寺に葬られ大徳寺聚光院にも移葬されました。

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