井上松坪 いのうえしょうへい

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

陶工。
尾張瀬戸の人で、初名を辰次、のちに松兵衛といい、松坪と号しました。
1856年(安政三)彦根藩窯湖東焼に招かれ、染め付け・赤絵ともに良工の作品に絵付をしました。
1860年(万延元)いったん郷里に帰ったのち京都に移り、磁器を焼成して自分自身で絵画模様を描いました。
1877年(明治一〇)前後から時流に応じ盛んに海外輸出品を製作し、銘に松坪・於西京松坪製・大日本松坪製・玉松園松坪などと記しました。
’のちに初代京都陶磁器組合長に挙げられました。
交友には文人墨客が多いようです。
1895年(明治二八)7月6日没、六十五歳。
甥井上伯山があとを継いでします。
(『湖東焼之研究』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email