金重陶陽 かなしげとうよう

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鶴田 純久の章 お話

1896年(明治二九)岡山県和気郡伊部村(備前町伊部)に生まれた。
本名勇、金重棋三郎の長男。
少年時代から父について鳥・動物などの細工物を学び、昭和初年頃から古備前の研究を始め。
1941年(昭和一六)窯の構造を変えて画期的な成功をおさめました。
1952年(同二七)無形文化財に認定、1956年(同三一)重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
1957年渡米。
1959年(同三四)中国新聞社より中国文化賞、次いで山陽新聞社・岡山新聞社より文化賞を受けました。
1966年(同四一)紫綬褒章を受け、またハワイ大学夏期大学講師として招聘されました。
1967年11月6日没、七十一歳。
勲四等旭日小綬章を受けました。
備前焼中興の祖ともいうべき存在でありました。

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