付属物
内箱 桐溜掻合塗 金粉文字 書付 馬丸光広筆 外箱 桐溜塗 金粉文字 書付
伝来
加藤半蔵庵―団狸山翁
所載
大正茶道記 大正名器鑑
寸法
高さ:6.1~6.3cm 口径:15.1~15.3cm 高台径:5.5cm 同高さ:1.0cm 重さ:320g
彫三島はすべて檜垣を特色としますが、この茶碗では、別して檜垣が鮮やかですので、とくにこの銘を付けたものでしょう。
檜雄は外二段に内三段、見込み中央には花形があしらってあります。白の象嵌がくっきりと映えて、意匠効果の冴えている点では白眉と赤土の素地にいってよいです。竹の節高台の内外には、失透ぎみの釉が濃淡のむらをなして趣が深く、高台内のちりめん皺も見事です。また内外に白い刷毛目の残ったのも味わいがあります。目は九つあります。
高さ:6.3cm
口径:15.0~15.2cm
高台外径:5.4cm
同高さ:0.9cm
彫三島は桃山時代のころに、茶人の注文によって朝鮮で焼造されたものですが、その年代はたぶん慶長ごろと考えられ、いわゆる御本切り形の茶碗としては、御所丸と同じように、初期に属するものとされています。なかでは松平不昧公伝来の、畠山美術館蔵の彫三島が、柔らかみにおいて群を抜き、彫りがきっかりと鮮明に焼き上がっているのでは、この茶碗がすぐれ、三井守之助旧蔵の「外花」が外側にも花紋があり、いわゆる外花手の優作とされています。
すなおに、しかもしっかりと削り出された高台から、浅くゆったりと碗形りに広がった姿は、品よく端正な作ぶりで、ひとしお好感のもてる茶碗です。
外側には二段の檜垣紋が、二筋の胴紐を間にくっきりと彫り込まれ、内側には三段、外側よりもやや狭い檜垣紋が現わされ、見込み中央に九弁の菊花紋を、まん中に一つ、まわりに九つ、印花で配しています。いずれの彫り紋様も、白泥がしっかりと埋め込まれて、まことにあざやかに現われています。また見込み花紋のところと外側の肱近くには、白刷毛を薄く刷いてありますが、これが赤みの深い地膚に映えて春霞のような景となり、優雅な雰囲気をもたらしているのも効果的です。
高台の内部に至るまで、総体に白鼠色の釉が、薄く、また厚くかかっていますが、高台から裾にかけての明るい郵色状の赤みをおびた、地膚の色と調和して、まことに美しい景となっています。また高台内部の削りあとは、いわゆる縮緬皺皺になり、そこにも白鼠色の釉がかかっていますが、釉の厚いところは梅花皮(かいらぎ)が出ています。
高台はやや片薄に削り出され、土は鉄分の強い赤土が使われています。畳つきの目跡は八つあり、見込みの花紋様の上にも、大小九つの目跡が残っています。
全体の焼き上がりは、やや固めの出来ですが、釉膚には光沢があって、見るからに艶の豊かな茶碗です。
彫三島はすべて檜紋様のあるものですが、この茶碗に限って「檜垣」と名づけろれているのは、その檜垣紋が特にすぐれて、強い印象を与えたからと思われます。また、この茶碗と最もよく似ているものに、『大正名器鑑』に加藤正義氏所蔵として所載されている「残雪」銘の茶碗があります。
内箱は、ため色のかき合わせ塗りで、蓋表の金粉字形「檜かき」の三字は、寛永の三筆といわれた鳥丸光広の筆と伝えられていますが、まさしく伝承どおり光広の筆体である0古い時代の伝来は判然とせず、『大正名器鑑』にも「加藤正義氏旧蔵、大正十年頃伊丹信太郎取り次ぎを以て現所持者(当時、団琢磨所持)の手に入る」とのみしるされています。しかしこれほどの名碗、おそらくしかるべき伝来を保っていたに違いありません。
(林屋晴三)
彫三島 ほりみしま
古来檜垣の彫り文様の三島茶碗を称しましたが、近代にはまた朝鮮高麗末期より李朝初期にかけて焼成された三島手の一種で、胎土の表面に白化粧土を塗抹し、箆のようなもので文様を描き地土を現し、さらに上釉を施して焼成したものをもいいます。
その文様は非常に粗大放胆で双魚・木葉・唐草・蓮弁などを多く用いました。
檜垣 ひがき
彫三島茶碗。
檜垣文は外二段に内三段、見込中央には花形があしらってある。
赤土の素地に白の象嵌がくっきりと映えて、意匠効果の冴えている点では白眉といってよい。
竹の節高台の内外には、失透ぎみの釉が濃淡のむらをなして趣が深く、高台内のちりめん皺や、また内外の白い刷毛目にも味わいがある。
目は九つで、彫三島はすべて檜垣文を特色とするが、この茶碗では特に檜垣文が鮮やかなので、この命銘となったのであろう。
【付属物】内箱-桐溜掻合塗、金粉文字・書付烏丸光広筆 外箱1桐溜塗、金粉文字書付
【伝来】加藤半蔵庵-団琢磨
【寸法】高さ6.1~6.3 口径15.1~15.3 高台径5.5 同高さ1.0 重さ320