姓は本阿弥、名は光甫。
光悦の孫、光瑳の子。
空中斎は号。
刀剣鑑定磨礪浄拭の家業に長じていたばかりでなく、祖父光悦の風に似て茶・香を嗜み、絵画や彫刻をよくし、さらによく陶器を製しました。
その技は光悦に劣らないほど巧みで風韻雅致に富むといいます。
晩年信楽の土で香合をつくり、また長門国(山口県)萩焼を模した茶碗をつくり空中信楽の名を高めました。
銘に空中・光など数種を用いました。
のち法眼に昇り、1682年(天和二)7月24日没、八十二歳『本朝陶器放証』はその作について「空中惣体作造もよく一品の物なり、薬薄黄色薄浅黄白薬渋薬瀬戸薬等あるようで、土も細かく空中彫銘あるようで、土の荒き空中は大方贋物なり、押小路、富小路東へ人あふみ屋六左衛門と云者の作なり、明和(1764-72)のころの人なり、亀香合長角さんぶた香合、其外水指茶碗色々あり」と説いています。
(『陶器考付録』『本朝陶器公証』『工芸鏡』『陶器類集』『彩壺会講演録』)