佐賀県有田町で焼かれた磁器。隣接する伊万里港から製品のほとんどが出荷されたため当初からこう呼ばれました。
唐津同様、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(丁酉倭乱)で日本に帰化した朝鮮の陶工・李参平(りさんぺい)が有田町泉山(いずみやま)に白磁鉱脈を発見し、元和二年(1616)に白磁の焼成に成功したといわれています。
中国古染付の影響を受けた初期の作品は特に初期伊万里(古伊万里)と呼ばれます。
李参平は、有田の「陶祖」と称されます。
有田の総鎮守とされる陶山神社では、応神天皇・「藩祖」鍋島直茂とともに「陶祖」李参平を祭神とします。
1917年には有田焼創業300年を記念し、陶山神社に「陶祖李参平碑」が建立されました。
陶器市開催に合わせ、毎年5月4日には「陶祖祭」が行われます。
有田焼の発祥については、考古学的な調査から1610年代前半から有田の西部で磁器生産が始められていることがわかるなど、今まで語られてきた説話をそのまま信じることについては疑義も呈されています。
しかしながら、有田焼の生産とその発展には李参平をはじめとする朝鮮出身陶工が大きな役割を果たしたことは確かであります。