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鶴田 純久の章 お話

大名物。漢作肩衝茶入。
挽家の蓋に「にった」とあるようで、新田氏の所持だったのでしょう。
『万宝全書』には仁田肩衝とあります。
ある本に新田義貞所持とあるがこれは疑わしいです。
また『真書き太閤記』は「しんでんと読む」と述べています。
珠光、明智光秀、豊臣秀吉らを経て水戸家に人りました。

にったかたつき 新田肩衝

漢作唐物肩衝茶入。
大名物。
「新田」とは所持者の名と思われますが、いかなる人物か明らかではありません。
家には「1つた」とあり、また『万宝全書』には「仁田、新田共有」と記されています。
その他はいずれも「新田」で、『山上宗二記』には「此壺肩衝ノ天下一ナリ。
初花・柴と共に天下に三名物ノ一ナリ」とあり、当時の珍重振りがうかがわれます。
豊後の大友宗麟所持の際、天正十三年(1585)秀吉がこれを所望し、「新田肩衝」唐物茄子茶入 「似茄子」を百貫で買いました。
その後、秀吉は正親町天皇献茶・山里茶会・北野大茶湯などとたびたびこれを使用し、利休も借りて百会に用いています。
茶人は典型的な唐物肩衝で、口造りは正しくは高いです。
にたりなす「初花肩衝」 「北野肩衝」よりやや胴のふくらみが大きく、撫肩です。
釉際が鮮やかに一線を画し、土見で本糸切が明瞭に現われています。
総体に、光沢ある釉色にみえますが、この茶人は大阪城落城ののち、藤重藤元・藤厳父子が家康の命を受け、灰燼中から拾い上げ、その破損を修補して今日の姿をなしたわけで、もとの釉質に調和し見事に復元しています。
【付属物】蓋 仕覆三段織緞子・紺地小牡丹菱紋金襴茶地剣先梅鉢紋緞子(図版右より) 挽家 黒塗 金粉文字
【伝来】 村田珠光 三好宗三 織田信長―大友宗麟 豊臣秀吉 徳川家康 徳川頼房(水戸家)
【寸法】 高さ:8.6 口径:4.5 胴径:7.9 底径:4.6 重さ:116

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