黒船裂 くろぶねぎれ

黒船裂
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鶴田 純久の章 お話
黒船裂
黒船裂

明代。
名物裂。
桃山時代、黒船で舶載された裂の意味からこの名称がある。
一般に黒船裂または黒船焼裂と称するものは、慶長十四年(1609)有馬晴信が長崎でポルトガル船を焼討したときに得た裂地であるとも、寛永十七年(1640)に渡来した船を沈めたときのものとも伝えるが、いずれも確証はない。
反物の両端が焼けた裂地をさしたり、銀欄の銀糸が黒くさびたものを焼裂と称したりするが、あえてポルトガル船焼討と結びつけたのであろう。
この裂は本願寺伝来の「黒船段分織能衣装裂」である。
納戸地の厚板で、全面を段織とし、おのおの異なる紋様を金糸で織り出している。
類裂は少なく、この装束裂が本歌と称されている。

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