船越間道 ふなこしかんとう

船越間道
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鶴田 純久の章 お話
船越間道
船越間道

明代。
名物裂。
名称の由来は船越五郎右衛門尉景直(1536~1611)の所伝によるが、実は子の伊予守永景(1597~1670)で、遠州から茶を学び、後年、石州とともに将軍家御道具のことにあたり名を残した人物である。
船越間道と称するものは種類が多く、一般には黄地に茶・縹・浅葱の縞模様と、藍地に茶・縹・浅葱の縞模様を織り出し、黄地と藍地の織り分け部分には紺と金、あるいは紺と白の太糸の横縞の浮織で変化を出している。
名物「淀肩衝茶入」にはこの裂が、中興名物「増鏡茶入」・生海鼠手「深美茶入」などには変わり手の船越間道が仕覆裂として使用されている。
類裂には望月間道・弥三右衛門間道などがある。

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