亡羊緞子 ぼうようどんす

亡羊緞子
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鶴田 純久の章 お話
亡羊緞子
亡羊緞子

明末清名物裂。
名称は儒者で宗旦四天王の一人とされる三宅亡羊(1580~1649)の所持によると伝えられる。
三宅氏は堺の名族で、会合衆中の有力者であったが父の代に没落し、亡羊は慶長四年(1599) 上はなだぬきいと洛し、藤原惺窩に師事し、後陽成・後水尾両帝に進講し、儒学を宗旦に教え、宗旦から茶事を習った。
縹地に黄の緯糸で蔓唐草と鳳凰紋を織り出し緞子である。
蔓唐草紋は流動性を欠き、織技も時代がかなり下降していることを物語っているが、軽妙で明快な趣のある名物裂で、江戸初期の渡来品であろう。
大名物「岩城文琳茶入」の仕覆が知られ、唐草の蔓部分は道元緞子の紋様形式をくずしたものといえる。
【所蔵】 藤田美術館

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