楊月筆。
楊月は和玉と号した画僧で、文明十七年(1485)、村庵霊彦の著賛をもつ山水画の存在から、その活躍期を室町末期に想定することができる。
山城の笠置寺の住僧であったところから「笠置楊月」の別称があり、使用した印章は「和玉」のほかに「臣僧楊月」がある。
『本朝画史』は師を雪舟と記すが、師弟関係を示す資料はない。
画技には余技的なところがあり、曽我派との脈絡も想定されるが、楊月自身の個性もあり、室町末期から戦国期にかけての中央画壇様式の崩壊期にあって、次第に野性化する方向に進む流れの中に、本図を位置付けることができる。
【寸法】画面縦32.4 横21.6