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鶴田 純久の章 お話
二盲懐紙
二盲懐紙

藤原秀能筆。
重文。
二首和歌。
大屋(藤原)秀能(1184~1240)は北面の武士であったが、歌に秀で、後鳥羽院に仕え多くの秀歌を残している。
もと袖の裏面に記されていた「建仁元年六月晦日和謌会当座」の書入れは、表面にまわして表装されている。
書風はきわめて粗放で、いかにも怱卒の懐紙であることを示しているが、位置は正式な書き方を保っている。
墨つぎなどにアクセントがあり、素朴な表現は殿上人の「熊野懐紙」とは異なる趣のものといえる。
右肩の年紀の筆者は不明であるが、後鳥羽院時代の書入れとみられる。
なお「佐伯切」 「三宅切」を秀能筆と伝えるが、ともに同筆とは認めがたい。

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