南宋末期の禅僧断谿妙用が、空海衍法師という僧に送った送別の隅で、雅ぶしゅんしばん味に富んだ珍しいものである。
断谿妙用は無準師範会下の僧であったが、どの僧伝にも記載がなく伝記の詳細は不明。
嗣法せずに終わったのかもしれない。
空海衍法師のこともまったくわからない。
「一夏」とは、中国の禅林においては毎年陰暦四月十五日から七月十五日までの九十日間、禅僧は必ずどこかの禅寺に寄寓し、門外不出で如法に修行する定めになっており、これを夏・夏安居などと称した。
「竺嶺」とは中天竺山であり、ここでは十刹第一の中天竺山天寧永祚禅寺、略して中竺のこと。
「有瞳の人」の瞳はいうまでもなくひとみのことであるが、ここでは目標を目指す人という意味。
「悵望」の恨は悼む、憂える、嘆くの意で、ここでは別れた人のことを案じながら想望すること。
「両峰堂」は中竺永祚寺山内の一堂で、断谿はここに宿って一夏を過ごし、住持を助けていたのであろう。
おそらく当時の住持は、無準の法嗣で断谿の兄弟子にあたる何人かであったと思われる。
断谿の墨蹟としては、このほかに聖一国師の法嗣で東福寺第四世住持となった白雲慧暁のために、「白雲」の号を頌じた一幅が常盤山文庫に蔵されている。
この「白雲の偈」に比べると、本幅の書風は一段と自由奔放で、断谿の人間味があらわに出ている。
【付属物】添状
【伝来】吉川広家―石見屋―原家
【付法】全体―縦124.5 横78.2 本紙―縦31.2 横76.5