重文。
虚堂門下の僧無爾可宣が、日本僧明知客の帰国に際して贈った送別の偈。
無爾の墨蹟で今日まで所在のはっきりしているのはこの一幅だけで、その意味でも貴重なもの。
無爾が久しぶりに旧友を迎えた喜びと、その前途に対する祝福と期待の意とを述べて送別の意を表わしたもので、書風はいわゆる宋風の特色をよくそなえ、淡雅なうちに一脈の凛然とした爽気をたたえている。
無爾可宣の伝記でわかるのは、彼が虚堂智愚会下の僧であることと、この墨蹟により咸淳四年(1268)の頃、浙江省寧波府の近くの県にある金文霊照寺の住持であったことだけである。
を贈られ「南屏の明知客」という日本僧は、のちの大応国師南浦紹明であろうと推定される。
その理由は、
①南屏とは南山浄慈報恩光孝禅寺の雅称で、当時虚堂がここに住しており、南浦が虚堂に参じその法嗣であった事実と符合する。
②無爾と南浦とは虚堂会下の同門として親しい関係。
③南浦が虚堂の会下で知客の重職にあり「明知客」と呼称されていた。
①虚堂が南浦の帰国に際し贈った偈中の「明々」の二字の意をよくとって活用してい⑥当時の帰朝僧で「明」の一字をもつのは南浦紹明のみ。
南浦紹明は駿河の出で、15歳で建長寺の蘭溪道隆に従い、入元して虚堂に参じ、帰国後、太宰府横岳の崇福寺に住すること三十年、京都の万寿寺に移り、次いで鎌倉建長寺に住し、延慶元年(1308)74歳で示寂。
大燈国師宗峰妙超はその法嗣。
【寸法】本紙縦26.0 横59.5