霊石如芝 鉄牛の偈 りんしいにょし てつきゅうのげ

霊石如芝 鉄牛の偈
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鶴田 純久の章 お話

重文。
一般に芝霊石と呼ばれている元代の名僧霊石如芝が、日本僧鉄牛景印のためにその道号「鉄牛」を頌じて書き与えたもの。
時に芝霊石は83歳であったが、その書風にはいささかの緩みも乱れもなく、枯淡なうちに凛とした気迫が漂い、その境涯の高さが偲ばれる。
霊石如芝の場合、霊石は法号・字であり、如芝はその法諱であるが、法諱の下一字を法号の上に配して霊石と称することが、当時の禅林に広く行なわれていた。
同様に鉄牛景印は印鉄牛と称されるが、これは『碧巌録』第三十則にとられている風穴延沼の「祖師心印」という公案、すなわち「風穴、上堂して云く、祖師の心印状鉄牛の機に似たり」に基づいており、芝霊石もこの公案を念頭においてこの偈をつくっている。
「祖師の心印」とは、達磨が荷担して中国に伝え来たった「仏心印」のことで、いわば達磨禅の真髄である。
鉄牛は、黄河の守護神として祀られた途方もなく大きな鉄製の牛。
これは鉄牛に託して禅者のあるべき理想像を頌じた偈である。
霊石如芝は虚堂智愚の法嗣で、わが南浦紹明と同門。
諸寺を歴任したのち五山第四の南山浄慈報恩光孝禅寺の住持となった。
日本僧で彼の会下に参じた者は多い。
鉄牛景印は無為昭 元の弟子で、入元して月江正印・古林清茂・霊石如芝らの巨匠に歴参、元弘二年(1332)帰朝。
【付属物】点字玉室宗珀筆 奥書―玉舟宗璠筆 添状―二、江月宗玩・小堀遠州筆
【伝来】鴻池家
【寸法】全体 縦114.0 横75.0 本紙 縦31.0 横73.0

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