重文。
南宋末・元初の時期に松源派の雄として活躍した横川如琪が、人の請いに応じて書き与えた歌で、彼の墨蹟として現存する唯一のもの。
横川が自らの迷悟両忘の境涯を愛用の挂杖子に託して頌じたもので、なかなかに含蓄が深い。
「主杖」は「挂杖」と書き、一般に「桂枝子」と呼び、のことであるが、禅家においては単に杖として使うだけでなく、払子や如意などと同じように、これを立てたり担ったりして言語道断の禅旨を示す方便として用いる。
ことに仏性や悟りのたとえとして用いる場合があり、この歌においては多分にその意味をもたせている。
横川如琪は幼少で出家し、はじめ石田法薫にまみえ次いで癡絶道沖に従ったが釈然とせず、天目山の滅翁文礼について修行し、ついにその法を嗣いだ。
その後、鷹山霊巌いおう寺・雅山能仁寺を経て、育王山広利禅寺第五十一世住持となり、至元二十六年(1289)68歳で示寂した。
その法嗣には古林清茂・笠原妙道らの俊秀がある。
墨蹟を請い受けた高上人がどんな人物かは不明。
なおこの墨蹟揮毫の年代を、印文に「雁山」の二字があるところから育王出世以前、雅山能仁寺時代と推定する説があるが、印章は前につくったものを使うこともよくあり、年代推定の決め手としては不十分で、「戊子仲冬」の四字を横川の生存年代に即して調べてみると、彼の示寂前年十一月ということになる。
【付属物】外題―玉舟宗璠筆 証状 東海寺天倫和尚筆
【寸法】全体―縦116.0 横49.0 本紙縦33.5 横43.5