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鶴田 純久の章 お話
澪標 みおつくし
澪標 みおつくし

高さ8.9cm 口径2.8~3.1cm 胴径5.2cm
 かつて小堀遠州 (1579-1647) が所持した茶入で 元禄年間に小堀家より出て土屋家に移り、さらに寛政四年同家の売立で松平不昧の所持しますところとなった。 織部焼独特のゆがみのある細身の茶入で、胴の一部をたてに釉をかけ分け、さらに鉄釉で簡略な文様を描いています。 織部焼の茶入は少なく、 またこのように装飾性の強い作品も稀で、その作行きからも織部茶入の筆頭とされますものであります。 鉄刀木の蓋には、金粉字形で 「身を津くし」、側面には銀粉字形で「身を津くしこふる志るしにこまてもめくりあひけるえにはふかしな」 といずれも遠州筆で記されています。いいますまでもなく 「源氏物語』による銘であります。

澪標 みおつくし

澪標 みおつくし
澪標 みおつくし

中興名物。織部焼茶入。胴に澪標の目盛のような模様があるところから、小堀遠州が『源氏物語』澪標の巻の「みをつくし恋ふるしるしにこxまでもめぐり逢ひけるえには深しな」の歌に因んでこの銘を付けました。
気の利いた大佗び風雅な茶入であります。
口縁は丸く捻り返しがなく、口形はいびつであります。
肩下より胴中まで横段轆轤目が廻り、茶入の竪半分は黒く、他の半分は白・鼠・黒焦げもしくは青味を帯びた織部釉を見せ、肩より以下垂直の黒金気の竪筋に沿いぼつぼつと大小十二点の黒金気色の丸い団子形があるのは、まるで澪標の目盛の形のようであります。
もと小堀遠州所持、1694年(元禄七)に土屋相模守に伝わり、のち松平不昧に入り以来雲州家に伝わりました。
(『名物記』『古今名物類聚』『銘物集』『麟鳳亀龍』『大正名器鑑』)

みおつくし 澪標

織部焼茶入。
中興名物。
胴に、通行する舟のために澪(水脈)を知らせる杭をいう澪標の目盛のような文様があることから、小堀遠州が『源氏物語』澪標の巻の歌「みをつくし恋ふるしるしにこ迄も廻逢ひけるえには深しな」を引いて名付けました。
細形小造りで、耳はなく、胴上部に轆轤目があります。
肩から胴にかけて黒み・白鼠色・織部色が縞様を呈し、その一部に大小十二個の点が縦一列に並び、また火変りもあって景色をなしています。
肩下および胴周りに、やや斜めの竪箆が二カ所あり、裾以下は鉄色の土がみえます。
糸切はきわめて荒く、その中にざらめきがあります。
織部茶入は多くありますが、中興名物の選に入ったものは「餓鬼腹」(167~頁)とこの茶入だけであり、他はあまり景色が多様であったために遠州が好まなかったと思われます。
この茶入の織部には珍しい素朴な作振りの佗び姿が、遠州の好むところとなったのでしょう。
『古今名物類聚』『名物記』『麟鳳亀龍』ほか諸名物記に記載され、『土屋蔵帳』にも列しています。
また雲州家へは伏見屋甚右衛門の取次で納められたが、当時の位金五百両といわれています。
【付属物】蓋蓋箱─桐白木、書付松平不昧筆 仕覆―二、五色縦筋間道・白地宝尽一重蔓唐草紋金襴(図版右より) 挽家―鉄刀木、胴銀粉字形・書付小堀遠州筆、蓋金粉字形 内箱 桐白木、書付同筆 外箱 桐白木、書付松平不味筆
【伝来】小堀遠州―土屋相模守―松平不昧
【寸法】 高さ:8.9径2.8〜3.1 胴径:5.2 底径:4.3 重さ:120

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