彫三島茶碗 ほりみしまちゃわん

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鶴田 純久の章 お話

付属物
箱 桐白木 書付 松平不昧筆
伝来
鴻池家―畠山記念館
寸法
高さ:6.7~7.0cm 口径:14.6cm 重さ:315g

 最も古くに「茶」にとりあげられた高麗茶碗は「雲鶴狂言袴」「井戸」「粉引―刷毛目―三島」の類であることは遺品のありかた。茶会記で証されるところです。
 しかし、ここにとりあげた「彫三島」は三島の名称がつけられていますものの、古三島の類には該当しません。井戸を筆頭とする初期高麗茶碗群のすべてが半島において雑器として生まれ、日本の茶席に茶碗として昇格したのに反し、彫三島茶碗ははじめから「茶」のための茶碗として生まれた、広義の「御本」でした。 日本の佗び茶の道程は桃山から江戸初期にかけて、利休―織部、織部―遠州と二度にわたり「好み」を変遷しています。当時使用された高麗茶碗のうち、日本茶人の注文によるものを「御本」と呼び、その御本茶碗にも指導者たちの好尚によって違いがあり。渡来年代の前後が考えられるのです。 慶長時代、本邦美濃に焼成された志野茶碗のうちに、この彫三島を写した作品があり、従ってこの彫三島の類はその頃の将来と推測されるのです。
 彫三島茶碗には檜垣文と花文が陰刻象嵌されるのが通例ですが、花文様が内部(見込)にあるものを「うちはな」、外につけられたものを「そとはな」と呼んでいます。焼成によって青色がかったもの、赤みのあるものといろいろあり、この茶碗のように赤できの作品を一層珍重するのは若青のよく映えるがためでしょう。
(文責村山 武)

三島の名称が付けられていますが、古三島の類には該当しません。
初期高麗茶碗群が半島において雑器として生まれ、日本の茶席に茶碗として昇格したのに反し、彫三島茶碗は「茶」のために生まれた広義の「御本」でした。
彫三島は檜垣文と花文が陰刻象嵌されるのが通例だが、花文様が内部にあるものを内花、外側のものを外花と呼んでいます。
焼成によって青色のもの、赤みのものといろいろあり、これは赤出来の作品で、一層珍重されるのは若青のよく映えるためでしょう。
《付属物》箱-桐白木、書付松平不昧筆
《伝来》鴻池家
《寸法》高さ6.7~7.0 口径14.6 高台径5.6 同高さ1.2 重さ315
《所蔵》畠山記念館

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