茂山御本茶碗 もさんごほんちゃわん

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鶴田 純久の章 お話

正保から享保二年(1717)まで約八十年間に、日本から朝鮮の釜山へ渡った彫師は、船橋玄悦・中庭茂山・松村弥平太など数十人にのぼるようです。
それぞれの大名をとって、御本茶碗の種類名が付けられています。
茂山は対馬の人で、一説に茂三ともいいます。
茂山茶碗の中に、「抜船手」という一種があります。
注文の御本茶碗が日本の港に着くと、まだ船が沖に碇泊して荷揚げする前に、小船を寄せて秀作のみを引き抜いた、というもの。
この美しい枇杷色の一碗など、まさに抜船手の名にふさわしいもので、やや背の低い安定感も見所の一つである・《寸法》高さ8.0口径12.7高台径5.3 同高さ0.7
《所蔵》滴翠美術館

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