弥平太御本茶碗 やへいたごほんちゃわん

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鶴田 純久の章 お話

弥平太とは松村軍右衛門の手、松村弥平太のことで、朝鮮の釜山へ播師として元禄三年(1690)・8年・11年・15年と四回渡っています。
俳諧を嵐雪に学び、山桜嵐関と称して狂歌もつくったといいます。
対馬にあっても奇行多く、面白い人柄であったらしいです。
宝永五年(1708)六月、釜山で没しました。
弥平太と称される茶碗は、薄造りで、腰の張った柔らかい趣のものが多く、一部を変形させたり、洲浜にしたものも多いです。
また器体の一部に絵を付けた、いわゆる絵御本の手もあり、江戸中期の好みのあり方を示しています。
絵御本には染付のもの、鉄絵のもの、稀に文様を釘彫りにしたものもあります。
遺品は少ないです。
《寸法》高さ7.5 口径11.0~13.5

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