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原色陶器大辞典

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磯御庭焼 いそのおにわやき

薩摩焼殿窯の一つ。その伝系には四度の変遷があります。すなわち斉彬御庭焼(集成館、錦谷窯場)、仙巌焼(忠義-御庭焼研究所)、新御庭焼(忠重)、磯焼(市来窯)であります。島津斉彬は富国策によって1853年(嘉永六)現在の鹿児島市吉野町の磯別邸内...
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市之倉窯 いちのくらがま

岐阜県多治見市市之倉町にある窯。加藤与左衛門常政(1595-162、瀬戸の初代藤四郎景正の子孫といわれる)を同地の陶祖とし、その曾孫与一郎成光、玄孫長七・忠道らいずれもこの業に貢献するところが多かったです。近年は盃の製造で知られています。当...
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一輪生 いちりんいけ

生花で花を一輪生けたものです。またそれに用いる小さな花瓶。一輪挿しともいいます。昔は銅製もあったがのちには陶磁製のものが多いようです。形は頚の部分の細長いものが普通であります。
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板掛け いたがけ

瀬戸系の陶窯では、成形した素地を並べた板を受けるものを板掛けといい、仕事場・ジモロなどの天井に取り付けたものは吊板掛けといい、戸外のものを干板掛けといいます。
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一ノ瀬窯 いちのせがま

佐賀県伊万里市大川内町にありました。窯の創始年代は明らかでありませんが、有田磁器の分派に属し外山の一つに数えられています。明治中期に大串辰二・竹下勝七・大串茂右衛門・前田鉄蔵・岩崎久兵衛らの工人がいて、丼類を主とした普通染め付けの雑器を焼い...
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一六 いちろく

琉球(沖縄県)の陶祖。唐名は張鰍功、俗称は安次嶺掟親雲上といい、文禄・慶長役(1592-8)の時に朝鮮から薩摩国(鹿児島県)に帰化して製陶に従事しましたが、1616年(元和二)琉球の世子尚豊公が自国に陶法のないのを残念に思い島津侯に陶工の招...
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井田吉六 いだきちろく

江戸の陶工。乾山写しの名手で、乾斎または己斎と号しました。下総国(千葉県)海上郡布間村の人で、九歳で江戸に行きのちに骨董の売買を業としました。その後製陶を思い立ち1825年(文政八)浅草蔵前(台東区)で自作の陶器を売りました。広く古陶器を研...
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一之瀬武 いちのせたけし

美濃古窯史の研究者。1905年(明治三八)長野市に生まれました。郷里の中学を卒業後上京し、いくつかの大学に籍を置いたがいずれも中退、郵便局員・銀行員・探偵社・出版社・通信社・新聞社を転々としながらも一途に文学に励んだといいます。終戦直前東京...
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一官 いっかん

帰化朝鮮人で琉球陶業の創始者の一人。1616年(元和二)薩摩国(鹿児島県)から一六・三官と共に琉球(沖縄県)に渡りましたが、しばらくして薩摩侯に召還されました。(『北村弥一郎窯業全集』)※いちろく
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板川内 いたのかわち

佐賀県杵島郡山内町。百聞窯のあったところで、山中の僻地であるため窯跡が永く残っており、朝鮮系の暦手・刷毛目などの陶片が出ました。このことから推察すると磁器以前に陶器を製造していたらしい。この窯は正保(1644-8)の頃筒江窯と小樽窯の二派に...