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人物

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久録 きゅうろく

加賀九谷焼の陶画工。本名久六。金沢の人。嘉永年間(1848-54)鍋屋吉兵衛に陶画を学び、その製品は師の吉兵衛に似ています。のち九谷庄三の風を学び精緻な彩色金欄手をつくりましました。1877年(明治一〇)頃没、五十余歳。(『九谷陶磁史』)
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喜平 きへい

彦根藩窯湖東焼の陶工で、また藩窯を継いで山口窯を起こしました。彦根外船町の人、父と共に絹屋窯にいましたが、藩窯となっても引き続き御抱えとなり。1858年(安政五)9月一人扶持、同10月にはさらに一人扶持を与えられ廃窯まで従業しました。喜平は...
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木村玄七 きむらげんしち

玄七は備前伊部窯の細工人で、器具の紐に用いる五分獅子と称するものの名人であります。その作品は細小とはいえまるで生きているかのようで、古今五分獅子において玄七の右に出るものはないといわれています。延享(1744-8)頃の人。(『工業大辞書』)
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木村探元 きむらたんげん

狩野派の画家。狩野探信の弟子。1735年(享保二〇)大弐法橋に叙せられました。薩摩国(鹿児島県)竪野窯に赴き画法を教え、上絵付をしたものがあります。またここで星山嘉入作の陶器に下絵を試み、九谷における守貞下絵のように珍重されましました。17...
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木村平八郎 きむらへいはちろう

備前伊部焼の幕末の名工。名は泰武、垂桜舎・雅ト・陽光堂・欣之などの号があります。茶器の名人であったと同時に陶器に書画を彫刻し、その筆意を生かすことに巧みでありましました。1850年(嘉永三)横井雨洗の五ヵ条の問いに対し彼が答えた伊部焼の由来...
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休斎 きゅうさい

文化・文政(1804-30)頃の近江国水口(滋賀県甲賀市水口町)の人。余技に陶器をつくり、休斎焼または水口焼の名があります。※みなくちやき
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久東山善造 きゅうとうざんぜんぞう

久東山は号で善造は通称。伊勢国津(三重県津市)の西南の一志郡久居の大口山で、土瓶・急須などの雑器をつくりましました。一説によると安東焼の師だったともいいますが、詳細は明らかでないようです。(『日本陶工伝』)
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久兵衛 きゅうべえ

楽四代一八・五代宗入の二代に仕えた手代。自らも慰みに茶碗などを焼き妙手として名がありましました。(『日本陶甕史』)
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北村弥一郎 きたむらやいちろう

明治・大正期の窯業界の権威者。1868年(明治元)5月石川県金沢市に生まれた。東京職工学校(東京工業学校の前身)に入学し化学工芸科・陶器破璃工科を修め、1890年(同二三)東京工業学校陶器破璃工科を卒業。1892年(同二五)農商務技手見習と...
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北村与三右衛門 きたむらよさえもん

九谷焼の明治期の窯家。石川県能美郡小野村(小松市小野町)の窯元。1867年(慶応三)初めて製陶に従い、以来その改良に心がけ1883年(明治一六)松田与八郎を招いて素焼き窯を改築、また石膏型を用いて成績を上げたといいます。(『府県陶器沿革陶工...