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太子間道 たいしかんとう

太子間道
太子間道

明代。
名物裂。
この裂は法隆寺伝来の広東錦の幡裂と似ているところから誤って聖徳太子と結びつけられたりするが、実際は桃山時代渡来の裂で、堺の町人太子屋宗有が愛好したと伝える。
なお太子屋は宗喜・宗有・宗高などが当時の茶書にみえるが、実際は誰が愛蔵したものか定かでない。
臙脂色地に黄・紺などの細縞と、その間に白・茶・黄などの絣風の紋様を織り出した間道である。
インドネシア地方のイカット織で絹糸の経絣織であり、この地方の絣は数百年にわたってほとんど変わらない紋様の裂を織り続けている。
織りは錦で紋は絣であるので、間道の部に入れられたのであろう。
大名物「油屋肩衝茶入」の仕覆裂が知られる。

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