元末に出て天寧永祚寺に住し「天寧の楚石」と呼ばれた楚石梵琦が、『臨済録』中の一段を書いたもの。
趙子昂に代表される正統派の書風を能くしてら石の代表的な墨蹟で、奇を衒わぬ温厚沈着な書風によく彼の禅風が偲ばれる。
臨済義玄の説法の大意は、「真の仏法は殊勝げな世俗超越の世界や、清浄静閑なところにだけあるのではなく、むしろ日常卑近な世俗の世界にある。
そして真の出家は、仏魔・真偽・凡聖を紛れなく見分ける明白な道眼をそなえていなければならない。
もし仏・真・聖だけを愛してこれに執着し、魔・偽・凡を憎み捨てようとするならば、これは差別相対の見所にしばられたもので、それでは迷いの海に浮沈するを免れず、解脱することはできない」というもの。
この一段は臨済禅師と臨済禅の面目のまことに躍如とした一段である。
楚石梵琦は寧波象山の出で、幼少で出家し、ついに元叟行端に参じてその法を嗣ぎ、報国・本覚寺など諸寺を経て天寧永祚禅寺に住し、明の太祖の洪武三年(1370)75歳で示寂した。
彼は詩文に巧みで、かつ能書家であり、日本僧で彼の会下に参学した者は少なくない。
揮毫の年次は不明であるが、至正十八年(1358)筆の偈頌などと比較的に近い頃と思われる。
石の墨蹟や画賛は比較的多く、畠山記念館・五島美術館・根津美術館・救世箱根美術館などに伝存する。
【寸法】全体―縦120.0 横75.3 本紙 縦33.9 横60.9
【所蔵】梅沢記念館