重文。
臨済宗大慧系の禅僧北碉居簡が、寒気をついて花開く梅を詠じた偈で、痩軀のうちに凜然たる禅機を包蔵する老禅者の境涯を託し、その鋭いふくいく書風と相まって、あたかも北碉その人に相見する想いがする。
その大意は「一樹の梅が鋭く尖った枝々を入り組ませながら、枯木のように冬空のもとに立っていたが、今や春の訪れとともに生気をとり戻し、百花に先がけて花を開き馥郁たる香りを放っている。
厳しい寒気に堪えてきただけに、その姿はあまりにもやせてはいるが、しかし凜然といさぎよく実に美しい。
これは深く地中にひそむ根が天地正大の気を一樹に凝集し、大自然の生命の発露するにまかせたまでのことで、栽培の力を借りたのでもなく、きまた他者の力によるものでもない。
私は梅の寒気にめげぬ凜然としたいさぎょさを愛し、大自然のこのたくましい生命力に対し、心から畏敬の念を禁じえない」。
料紙には藻に鯉魚を雲母摺りした唐紙が使用されている。
北硝は儒者の家に生まれ幼少で出家得度し、のち大慧宗果の法嗣の拙庵徳光に参じてその法を嗣ぎ、一時大慧にも侍した。
飛来峰の北硝に幽居すること十年であったので、本来、敬叟と号したが、北碉と通称されていた。
北硝を出て諸寺に住し、晩年、五山第四の南山浄慈報恩光孝禅寺に移り、淳祐六年(1246)83歳で寂した。
その著『北碉集』十九巻は後世禅文学の古典として重んぜられた。
【付属物】添状玉舟宗璠筆
【寸法】本紙縦28.0 横46.O
【所蔵】正木美術館