松花堂昭乗 しょうかどうしょうじょう

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鶴田 純久の章 お話

茶人。
本姓中沼氏、名は式部。
1584年(天正一二)生まれ。
京都石清水八幡宮の社僧で、滝本坊に住し松花堂を建てたので人呼んで滝本坊または松花堂といいます。
剃髪して昭乗、別に惺々・空識とも号しました。
十歳の頃から兄元知の関係で近衛三貌院に仕え、社僧となったのちも、応山信尋など近衛家の人びとと親近しました。
早くから書道と絵画に名がありましたが、寛永(1624~44)の初めその四十歳頃から小堀遠州に茶を学び茶室閑雲軒を建て、また挿花・作庭にも長じ、沢庵・江月・長哺子・一条昭良・永井直清・片桐石州その他当時一流の人物と交わりました。
1639年(寛永一六)9月18日没、五十六歳。
佐川田昌俊の『松花堂上人行業記』は師の行業を記したものであります。
なお『松花堂茶会記』は1632年(寛永九)9月24日から翌年7月29日の間の十八回にわたる昭乗の自会記であります。
また『八幡滝本坊蔵帳』は昭乗の所持した什物目録であるようで、その愛玩した茶道具を世に八幡名物と称し、国司茄子・獅子香炉・平野茶碗・七賢盆などがあります。

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