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鶴田 純久の章 お話

重要文化財
高さ:9.3~9.8cm 口径:15.2~15.5cm 高台外径:5.6~5.7cm 同高さ:1.9cm
付属物:内箱 桐白木書付金森宗和筆 外箱 黒塗三書付金粉字形  同蓋裏 書付貼紙
伝来:筒井順慶-豊臣秀吉-山科の毘沙門堂門跡
所載:利休百会解 長闇堂記 続茶話真向翁 大正名器鑑
 管見におよんだ大井戸茶碗はおよそ五十個数えますが、その格調と重厚味において、喜左衛門と筒井筒を双璧とするのに異論をはさむ人はまずありますまい。二碗の特色を一言にしていえば、格調の高さでは筒井筒、重厚味では喜左衛門ということになるのではないでしょうか。
 筒井筒の特色は、その形姿、すなわち高台から口部にいたる広がりと、総体の高さとの均衡がまことによく保たれていること、さらに高台ぎわが深く大胆に削られているために、側面からの形姿が、一段と立体感に富んでいるところにあります。また茶碗の厚昧も、総体の大きさによく比例し、加えて、釉薬の厚昧にいたるまで、いいようのない「間」のよさをもっています。
 俗に枇杷色といわれる釉薬が全面にすっぽりとかかっていますが、その素朴な釉肌もよく見ると厚く薄く、したがって貫入を荒く細かく微妙な景をなし、裾にいたって荒々しく変化に富んだ梅花皮(かいらぎ)を生じて、全体を強く引き締めています。逸話に伝える大小の割れあとがあるにもかかわらず、よく旧姿の大らかさを保ち、いささかも魅力を失わせていません。
 天正十五年十月朔日に催された北野大茶之湯に、秀吉自身が点前をした茶席で、新田肩衝とともに飾られた井戸茶碗は、あるいはこの筒井筒ではなかったかと推測され、外箱裏の貼り紙の書き付けにも「……豐臣秀吉北野大茶湯に用ひたりと その時誤りで破損せしを補ふを以て後世筒井筒と号すと云 細川三斎狂歌等之説有」とあります。また『利休百会記』の天正十八年九月十三日の条には、秀吉を迎えた茶会で、「つついのいと茶碗」を二畳敷の茶室で用いたことを伝えますが、これは秀吉所持のものを、利休が聚楽第の利休屋敷で用いたものか、それともある時期、利休が賜って所持していたのかもしれません。
 「つついのいと」の名称については、もと筒井順慶が所持していたことによるといいますが、記録は判然としません。それが「筒井筒」と変わった由来は、秀吉所持のとき誤って割れ、その場で細川幽斎が「つつ井筒いつつにかけし井戸ちゃわんとがをば我におひにけらしな」と、『伊勢物語』の一節をもじった狂歌を即興して、秀吉の機嫌をとりつくろったことにはじまる、と『長闇堂記』や『細川家記附録』に伝えます。したがって内箱の銘も、割れを補ってからのものらしく、おそらく天正十八年の。茶会以後のことと考えられます。
 その後、ある時期以降、昭和二十五、六年ごろまで、京都の毘沙門掌に伝来しました。同寺の什器となったのは、いつごろか判然としません。元和から寛永ごろ、光悦が自作の茶碗を毘沙門堂、すなわち輪王寺宮に献上した伝えがあることなどから察しますと、たぶんこれも江戸初期に同寺に入って、そのまま伝わったのではありますまいか。
 内箱蓋表の「筒井筒」という書き付けは、『大正名器鑑』では金森宗和筆としていますが、銘のみ三文字を書いた書式が、曼珠院宮良尚法親王筆と伝える光悦作の時雨の書き付けと似ているところ、これもあるいは輪王寺宮など、貴人の手になるものではないか、と推察されます。

(林屋晴三)

筒井筒 つついずつ

重要文化財。名物。朝鮮茶碗、名物手井戸。
銘は所持者の筒井順慶に因んだものです。
奈良の水門に住んでいた佗び茶人善玄が所持していたのを順慶が所望し、のち豊臣秀吉に献じました。
ある日秀吉の近習が誤って取り落としこれを五つに割ったが、居合わせた細川幽斎が『伊勢物語』の「筒井つつ井筒にかけしまろがだけ」の古歌をもじって「筒井筒五つにかけし井戸茶碗咎をばわれに負ひにけらしな」と詠んで秀吉の怒りを静めたといいます。
その後京都毘沙門堂に伝わり、のち金沢嵯峨家蔵。
(『大正名器鑑』)

 喜左衛門・細川・加賀の三碗を三井戸と称しますが、むしろ、これを加えて四井戸とすべきだろうという声が、近ごろ専らです。もと筒井順慶の所持、のち秀吉に献ぜられ、近習が取り落として割ったのを、細川幽斎が筒井筒の古歌にかけて取りなした話は有名です。それいらい筒井筒という名でよびならわされてきました。
 かなり丈の高い椀なりで、従って見込みも深くゆったりとしています。見込みには渦巻き状の轆轤目があらわれ、重ね焼きの上の茶碗を受けた目あとが、四つ残って景色となっています。
 この茶碗では高台がひときわ高く、それも椀なりの腰からえぐり出したように切立つため、きわめて力強い姿となっています。釉だちは紅みを含んだ乳自色で、内外ともわりに厚つめにかかっています。高台の内外は、例によって削りの箆を当てたためにちりめん皺が生じ、溜まった釉が梅花皮(かいらぎ)となって、絶景の景色を呈しています。

筒井筒井戸

名物手
大名物
重文
付属物 内箱 桐白木 書付 金森宗和筆 外箱 黒塗 書付 金粉字形 同蓋裏 書付貼紙
伝来 筒井順慶―豊臣秀吉―山科の毘沙門堂門跡
所載 利休百会解 長闇堂記 統茶話真向翁 大正名器鑑
寸法
高さ:9.5~9.8cm 口径:15.0~15.4cm 高台径:5.6cm 同高さ:1.6cm 重さ:436g

 喜左衛門・細川・加賀の三碗を三井戸と称しますが、むしろ、これを加えて四井戸とすぺきだろうという声が、近ごろ専らです。もと筒井順慶の所持、のち秀吉に献ぜられ、近習が取り落として割ったのを、細川幽斎が筒井筒の古歌にかけて取りなした話は有名です。それいらい筒井筒という名でよびならわされてきました。
 かなり丈の高い椀なりで、従って見込みも深くゆったりとしています。見込みには渦巻き状の轆轤目があらわれ、重ね焼きの上の茶碗を受けた目あとが、四つ残って景色となっています。
 この茶碗では高台がひときわ高く、それも椀なりの腰からえぐり出したように切っ卒つため、きわめて力強い姿となっています。釉だちは紅みを含んだ乳白色で、内外ともわりに厚いめにかかっています。高台の内外は、例によって削りの箆を当でたためにちりめん皺が生じ、溜まった釉がかいらぎとなって、絶佳の景色を呈しています。

筒井筒 つついづつ

井戸茶碗。
重文、名物。名物手。
丈の高い椀形で、見込も深くゆったりとし、渦巻状の軽破目が現われ、釉調は赤みを含んだ乳白色で、厚めにかかっている。
高台はひときわ高く力強い。
内外にちりめん皺が生じ、溜った釉がかいらぎとなって絶佳の景色である。
もと筒井順慶所持、のちに秀吉に献ぜられ、近習がこれを割った際、細川幽斎が古歌にかけ「筒井筒五つにわれし井戸茶碗咎をばわれかおいにけらしな」ととりなしたといわれ、「筒井筒」と命銘。
【付属物】内箱-桐白木、金粉字形、蓋裏貼紙書付
【伝来】善玄-筒井順慶-豊臣秀吉-毘沙門堂
【寸法】高さ9.5~9.8 口径15.0~15.4 高台径5.6 同高さ1.6 重さ426

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