元代の禅界の一方の雄であった月江正印が、日本僧玖上人の帰国に際し、激励の意を込めて彼に贈った送別のである。
「途中」とは現実の娑婆世界にあること、ここでは行脚というほどの意。
「工夫を做す」とは道眼を磨き道力を養うこと。
「寒拾」は寒山拾得。
「大虫」とは虎の異名で四睡の一、ここでは猛虎のような禅僧のこと。「龍」とは滝のことで、ここは天下の奇勝といわれる雁蕩山中の滝をさす。「台」とは天台山と雁蕩山であろう。
月江正印は臨済宗松源派の虎巌浄代の法嗣で、明極楚俊・どしよう南楚師説と同門。
諸寺に歴住したのち十刹第二の道場山護生万寿禅寺に移り、次いで五山第五の育王山広利禅寺に住し、時の順宗皇帝に重んぜられて金襴の衣と仏心普鑑禅師の号とを贈られた。別に松月老人とも号した。
その寂年は未詳であるが、松永記念館所蔵の墨蹟によって、至正十年(1350)には84歳でなお健在であったことが知られる。
月江は当時の日本禅界に最も知られた禅僧で、平田慈均・正堂士顕・鉄舟徳済・無夢一清・友雲士偲らがみな彼のもとを訪れ、その墨蹟をもらって帰朝している。
玖上人は一時、平林寺の開山石室善玖と考えられたが、石室は至正八年に先立つこと二十二年の元の泰定三年に帰国しているので、別人である。相当にすぐれた道力の持主であったようである。
印月江の墨蹟は、56歳から84歳までの約二十点が伝存。
【寸法】全体 縦113.0 横101.0 本紙―縦35.7 横99.3
【所蔵】五島美術館