南宋末に出た月菴智円が、『碧巌録』 第三十八 「風穴鉄牛の機」の則に添えた圜悟克勤の「垂示」を揮毫したもので、月菴の遺墨として唯一のものぜんと思われる。「漸」とは漸修・教の漸で、順序を踏み漸進的に長期にわたる修行によって悟りを開く教えのこと。ただしここでは、把住に対する旅行、殺に対する活の働きのこと。
「闇市裏」は、人馬で雑踏する十字街頭、俗世間の真只中。「頓」とは頓教・頓悟の頓で、順序を踏まず一挙に飛躍的に成仏をはかる教えのこと。ただしここでは、旅行に対する把住、活に対する殺の働きのこと。
「朕迹」は、ほんのわずかの跡形。
「頓漸を立せず」とは、定石にわたらず、頓漸を超え殺活自在に手目をみせず働くこと。「作者」は卓越した力量のある禅僧。
『墨蹟祖師伝』には、癡絶道 沖の法嗣として清涼山広慧寺に住した月潭智円という僧が記され、宗派図でとぜんじきようは、密庵咸傑の法嗣枯禅自鏡の法嗣として月菴智円が記される。
月菴は音便で「げったん」、音を写して「月潭」と書かれる可能性があり、法諱が同じ智円であることなどから、両者は同一人物ではないかと思われる。
月菴の師枯禅自鏡と癡絶の師曹源道生とは等しく庵の法嗣で、月菴と癡絶とは法脈上、従兄弟の間柄にあったことからみると、月菴は枯禅の寂後に癡絶に参じて大成し、実質上は癡絶の法嗣であるが、形式上、枯禅の法嗣となったのではないかと思われる。
【付属物】添状―一溪可什より尼崎屋弥兵衛て
【寸法】本紙―縦26.8 横64.8
【所蔵】根津美術館